2016年05月28日

印象派やモナリザが世の中に愛される理由

 「日本人は印象派が好き」と、よく聞く。
 数々の印象派展が日本で大盛況の場面を思い出すと、その言い分は誠だと信じる。
 しかし、これは日本だけの現象ではなく、印象派が世界中で愛されていることは言うまでもない。

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posted by 王俊宇瀟 at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2016年03月25日

モネと水墨画の写意   王俊宇瀟

 先日、テレビの美術番組でモネーの「印象・日の出」を紹介された。

 印象派の代表的な作品であるこの絵は、刻々変化する光の最も魅力的な一瞬を捉えるため、素早いタッチで描かれた印象が観る側に凄く伝わる。
 水墨画の世界に慣れた者がこのような作品を見ると、「写意」の作品を連想することは職業の癖かもしれない。
 確かに、絵の具の荒々しく勝つ自然な混ざり具合や絵筆のタッチの軌跡を見せつけるように画面を完成させる特徴は、「写意」と大変似ていると言えるかもしれない。
 その意味で、モネやセザンヌ、あるいはマチスなど、古典西洋絵画と一線を画す画家達の作品は、「写意」の傾向が見られなくもない。

 しかし、たとえば印象派はあくまでも野外製作に於いて、光の移ろいによる対象物の瞬間的な美を表現するように、マチスにしてもセザンヌにしても、絵画に対するそれぞれの「理念」を実行するため、たまたま「写意」の如き絵筆を走らせ、その筆跡を隠さず、敢えて無防備に見せつけることで荒々しく且つ躍動感や重厚感の有る画面を可能にした。
 
 要するに、モネ達の作品が何となく「写意」に似ているのは、あくまでも彼らが自分達の絵画理念を実行した結果、たまたま現れた外見的な側面でしかない。

 以前も話したように、「写意」も、また一種の絵画理念、つまり世界を見極めると表現する方法であり、ただの技法ではない。
 
 当然乍ら、西洋の印象派や野獣派など、水墨画の「写意」とは全く別物であることが言うまでもない。しかし印象派も野獣派も写意も、同じ「絵画理念」である。
 又、それぞれの「理念」が全く無関係だが、素早いタッチと大胆な筆遣いなど創作スタイルに共通点が有るところに大変興味深いと思う。
posted by 王俊宇瀟 at 21:34| Comment(0) | 水墨芸術

2016年02月29日

水墨画の楽しみと悩み   王俊宇瀟

 水墨画に限らず、何であれ、創作行為は楽しみと悩みの両方を持ち合わせる性質がある。
 新しい作品が生まれる期待と今までの自分を否定する思索はその両方を象徴するように、矛盾し乍ら創作活動を支え、どちらも欠かせない側面と言える。

 しかし、所謂「創作」とは異なり、遊ぶ気持ちで描く水墨画は楽しいのみである、例えば、純粋に教養を深め、個人の精神生活を豊かにする為に教室で水墨画を楽しむ場合はそうである。又、私の場合、創作の領域と違って、観察力や線の練習のため時々参加する裸婦の写生もそうである。目の前にいるモデルさんを見たままに描けば済む事であり、ややこしい素材の選択や技法の応用など脳細胞を大量に死なせる思考一切無用であり、実に楽しい!

 ところで、文人画の世界では、時々目にする「戯筆」「戯墨」「戯寫」という落款がある、如何に楽しく作品を描いているように思われる。しかしこの場合は文字通り鵜呑みにしては行けない事を注意すべきである。この様な作品は、本当に素直に楽しく描かれる場合もあれば、単なる文人達の建前の場合も多い事と容易に推測出来る。あまり苦労せずにこんなに佳い作品を描いた隠れた自慢と、制作の苦労を見せず楽しく見てもらいたい鑑賞者の対する心遣いの両方が感じさせられる。

 一方、裸婦のデッサンは、本当に楽しい!
 特に、研究熱心で躍動感溢れるボーズが多いモデルさんに出会う場合は、尚更楽しい!


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posted by 王俊宇瀟 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 水墨画